講義録

0 はじめに

    マランの幸福論とは、フランスの哲学者アラン(1868-1951)の幸福論にかこつけて名付けた、私(本間)の幸福論である。

    特別な能力や資質を持った人を対象にしているのではなくて、フツーの人による、フツーの人のための、フツーの幸福論である。一般のサラリーマンなどをイメージしている。

   フツーの人は幸福になれるという確信に基づく幸福論である。だから、ほとんどの人が幸福になれると信じている。

    幸福の定義としては、とりあえず、①生きる喜びと、②人生全体に対する肯定感としておく。この2つはとても重要なことだと考えている。

 

Ⅰ 確実なことから出発しよう!

 1 時間、空間、仲間が存在する

    仲間とは、この場合、人物、動物、植物、物体……といった物がこの世界に存在するということである。これらの存在を疑おうと思えば、いくらでも疑えるが、フツーの幸福論では、これらが存在することから出発してよいだろう。

    この3つのリアルな「間」をここでは「本間(ホンマ)」と呼ぼう(笑)

 2 いま、ここ、わたし、から出発しよう

    いま、ここ、わたし、から出発するのは自然なことである。悩んだり、不幸を感じたら、これらから考えていいのである。決して利己的なことではない。生きる原点である。

 3 いま、ここ、わたし、からの広がり、深まりへ

    ①未来、過去

    どちらかというと、未来志向がいい。希望を持って、計画を立てる。近くの未来から考えていく。

    過去は解釈によって変わってくる。感謝の気持ちを持って、過去を肯定していく。

   ②家庭、学校、職場、地域、国、地球、宇宙……

    空間の意識を、身近なところから、少しずつ広げていく。

   ③周囲の人々、所属組織の人々、社会、世界……

    他者への意識を、身近なところから、少しずつ広げていく。

  *人間は、人間以外の動物と異なってどうしても広がりと深まりを求めていくように宿命づけられている。ここから人間の喜びも苦しみも生まれてくる。

Ⅱ わたしがいま、生きている人間であることから出発しよう!

 1 人間として生きる力がある

    それを、ここでは「生の欲望」と名付けよう。生の欲望は誰もが持っているものである。この生の欲望に素直に乗っていくことが、幸福に繋がっていく。

 2 「一般欲望」と「固有欲望」

    一般欲望とは、世間一般に認められている欲望である。お金、地位、名誉などに対する欲望、すなわち成功への欲望と言ってもいい。固有欲望とは、その人が素直に自分を見つめれば認められる、その人に固有な欲望である。(家族愛、友愛、趣味、ライフワークなどがその例である。)一般欲望とは異なる欲望を含んでいる。

    人は、一般欲望と固有欲望のバランスを取りながら、幸福を実現していく。私は、どちらかというと、固有欲望を重視する者である。やりたいことをやる、一緒にいたい人と一緒にいるということがポイントである。

Ⅲ ひとつの例題 【成功と幸福】

 1 成功とは

    成功とは、お金、地位、業績などにおいて成果を挙げることである。(最近では、結婚、子どもを産むなども勝ち組なのか?)

 2 幸福とは

    私の定義によると、①生きる喜びと、②人生全体に対する肯定感である。

 3 成功と幸福の関係

    必ずしも成功はできないが、幸福にはなれる。しかし、一定の成功は幸福と相関関係にある。(例えば、極端な貧困は不幸を招くだろう)

    大きな成功をする必要はない。大きな成功が幸福に結びつくとは限らない。

    若い人が成功を目指すのは自然なことである。一方、中高年は成功より幸福を目指すのがいい。

    私は成功よりも幸福に価値を置いている。特に、固有欲望に注目する。自分が好きなことをやるのが幸福につながる。

Ⅳ おわりに

 1 存在していること自体に意味・価値がある

    他と比較すると不幸になる。比較をしないで、存在そのものを認める。そのもの固有の価値を認める。

 2 いま、ここ、わたし、から出発し、戻り、また出発する

    これが原則であり、この繰り返しである。

 3 一方で、人は関係をつけたいという欲望を持っている

    人は自分に対して、そして他者に対して、いい関係をつけたいと願っている。その人の幸せを願っている。それを、ここでは「愛」と呼んでおこう。愛は、自分から出発して(自己愛)、他者への広がりと深まりを求めている。

    具体的な愛の実践としては、「上機嫌であること」「人の話をよく聞くこと」「人のことをよく考えること」「人への思いやりの行動を取ること」などが挙げられる。